上村松園 生誕150年記念(前期展示)
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- 4月27日
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更新日:5月1日
今回ご紹介するのは、現在大阪中之島美術館で開催中の展覧会「上村松園 生誕150年記念」です。2025/6/1(日)まで開催しています。
大阪中之島美術館といえば、2022年に開館したばかりのまだ新しい美術館ですね。
3階以上を黒い外壁で覆い、2階以下をガラス張りにした構造となっていて、堂島川と土佐堀川に挟まれた立地を活かした「水都のシンボル」です。
複雑に連なる通路と開放的な2階空間が特徴で、鉄骨フレームとガラス窓で自然光を取り入れる設計がなんとも素敵です。
大阪中之島美術館ができた当初は、なんだかすごく近未来的な美術館だなあと興奮したものです。


そんな中之島美術館で開催の上村松園展に参戦。

今回の上村松園展は、前期展示と後期展示がありまして、5/13より30作品入れ替えなんですよね。有名な作品「序の舞」「母子」「花がたみ」などは後期展示なので今回は観ることができず。。。
時間があれば、後期展示も観に行きたいなあと。。。
本展覧会は写真撮影は、OKと書かれているもののみ撮影OKです。
そのため、すべての作品を撮影することはできませんが、撮影できた作品の中から有名なものや暁が好きな作品を紹介します。
と、その前に、上村松園については、皆様どれくらいご存知でしょうか?
上村松園といえば、美人画の第一人者ですよね。女性で初めて文化勲章を受章するなど女性画家の社会的地位の向上にも貢献したお方です。
そもそもこの時代に女性画家ってとても珍しいんですよ。今でこそ女性アーティストもたくさん活躍していますが、「なぜ偉大な女性芸術家はいないのか?」なんて評論が書かれるくらい、昔に実績が残っている評価された女性画家さんっていないんですね。
やはり男性社会の世の中で、女性が職業画家として実績を積んでいくのはとても難しかったというのは想像に容易いです。
そんな中、女性画家として社会的認知も高く、性別を超えて対等に評価されてきた上村松園。一体どんな人生だったのでしょうか?
上村松園は1875年、ちょうど今から150年前に次女として京都に生まれました。
商売人の家庭に生まれたんですが、父親は生まれる2ヶ月前に他界しています。
そうなんです。当時には珍しい母子家庭なんですね。
松園は、幼い頃から絵が好きで、絵をたくさん描く子供だったみたいです。
学校は、日本初の公立画学校、今でいう京都市立芸術大学に進学したんですね。とても順当な画家ライフ。当時にしてはとても珍しい進路です。やはり当時の時代に、家長として世間体を気にする父がいないというのもこういった進路を叶える上での重要な要素になったのではないでしょうか。
しかしながら、学校は1年ほどで辞めてしまうんですね。その当時通っていた塾の先生、松年先生の退職に伴い、退学し、そのまま松年先生の私塾で絵の勉強をします。
美術館の解説には、松園が描きたかった人物画が学校では3年生からの履修であったのも私塾に通うきっかけだったと記されています。
そして驚きべきは、15歳の頃に、第3回内国勧業博覧会では褒状を受けたうえ、出品作をイギリス王子のアーサー・コノート公が買い上げたと地元で話題に。
イギリスの王子が絵を購入なんて驚くべき話ですよね。15歳にして絵の才能は溢れんばかりとなります。
そして美術界において松園の名が全国的に知られるようになるのは、1900年、25歳の頃ですね。第9回日本絵画協会・第4回日本美術院連合絵画共進会に出品した《花ざかり》によってのことです。こちらの作品、所在が不明ですが、本展覧会で図柄がとてもよく似ている《人生の花》という絵が展示されています。京都の古き良き花嫁風俗を主題とした絵となります。
そして1902年、27歳の頃、松園は未婚の母となります。そうです。子を産んだのです。子は、後に日本画家となる上村松篁です。未婚の母とのことですが、父は松年先生(家庭持ち)なんですね。ここでの2人の関係については、詳しい記載はなく、ただ当時あまり周りからはよく思われていなかったのは確かですね。(ここの記述については、後ほど私が紹介する絵でさらに深掘りします。)
その後も、松園は家計を支えながらも、たくさんの功績を上げていきます。
そして73歳の時に、文化勲章を受章し、74歳で幕を閉じます。
近代日本における女性芸術家のパイオニアとも言われる松園さんに憧れて、後に、画号に園をつける人が続々と出てきますが、これは松園さんあまりよく思っていなかったみたいですね。
画号くらい、自分の個性を出していけというのが思うところみたいです。これについては暁も同意です。画号が真似されると嫌ですもんね。
また松園は生涯にわたって美人画を描き続けましたが、やはり女性が描く美人画と男性が描く美人画は着眼点が違うみたいですね。見え方って言うんですかね?
少年ジャンプも女性漫画家と男性漫画家が描く作品って違いますよね。
やはり男性が描く美人は、女性の外見的魅力にフォーカスしてると思うんですけど、女性が描く美人は、内面の精神性にフォーカスしてるとの見方があります。
あとね、後ほど紹介していく絵を見ていただけると分かるんですが、松園さん、本当に画力が高すぎるんです。羨ましい。。。なんか、ささっとノートに描いた絵とかでも画力が違うんですよね。暁ももっといい絵が描けるようになりたいと心から思いました。。。
それでは、松園さんについての知識を入れたところで、絵の紹介をしていきます。
まず1枚目はこちら。

松園が1903年、未婚の母となった翌年、28歳の頃に描いた絵ですね。
「母性」と「無垢な美」を融合させた初期の傑作として注目されます。
伝統的な母子像を超え、「姉と弟」の関係性で母性的慈愛を表現しています。
なぜこの絵を取り上げたのか?こちら美術館でも解説のない絵なんですよ。
代表作とかでは全然ないです。しかしながらこのしゃぼん玉という題材がすごく心に残りました。
しゃぼん玉って一瞬の儚さを象徴する素敵なアイテムなんですよね。
この平和な母子の一瞬の儚さを描く一枚、この儚い一瞬を絵の中で永続化させるその矛盾美、素敵ではありませんか?
一瞬と永遠という相反するものの中に、当時の松園のシングルマザーとしての苦悩が隠されているようにも思うんです。
ぜひ会場で見てみてほしい一作です。
次に紹介する絵がこちらです。

こちらの絵も、代表作とかではありませんが、暁の心にとても残った作品です。
まず一点暁だったら、、、というお話。
この作品の英語タイトルが、「Playing the flute on a moonlit evening」なんですね。直訳すると「月夜に笛を吹く」なんですが、私としましては、なぜmoonlit eveningなのか?と、、、
良夜と月夜ってちょっと違うんですよね。絵の中に満月が描いてあるのでついつい月夜を思い浮かべてしまいますが、暁なら「Playing the flute on a beautiful night」にします。
なぜかというと、良夜って美しい夜それも、活動的な夜の時間(evening)じゃなくて、寝静まってからの夜(night)を指していると思うんですよ。だからa beautiful night。
こちらの英訳の方が暁はしっくりきます。この幻想的な絵にとてもぴったりなタイトルだと思うんですね。
そして、暁のかなり独自の解説をします。
この絵、よく見ると左手薬指に指輪がされているんですね。これ美術館の解説では、「当世風に描かれている」という解釈なんですが、こうは解釈できませんか?
これが描かれたのは明治の後期、松園が30歳から37歳の頃。子を産んでちょうど3年ほど経った頃ですね。
さらに、この明治の後期には、結婚指輪を左手の薬指にはめるという文化が始まった頃なんです。
暁が思うに、この白ベースの着物は、「無垢な私」を表していて、さらにそこに描かれた青葉の柄は、アオバ(アオバナ)の花言葉「変わらぬ愛」「夢かなう」「尊敬」などがあって、これはまさに松年先生への気持ちなのではないかと考えています。(かなり独自の見方ですが、、、)
そして、左手薬指の指輪は、未婚の母として既婚者への憧れが現れているのではないでしょうか。彼女は未婚の母となった今でも、松年先生を変わらず愛し尊敬し、そして結婚したいと思う気持ちの表れ、そう見るととてつもなく切ない絵のように思えてきます。
この能面を参考にした、被写体の感情を拾いにくい表情表現も相まって、心に残る作品となりました。
皆様はどういう解釈をしましたか?
次の作品は代表的な作品です。

この作品、能の演目「草子洗小町」を題材にした作品なんです。
暁がとても好きな作品です。
草子洗小町の演目はどんなお話かについて。
宮中の歌合わせで小野小町の相手に選ばれた六歌仙のひとり、大伴黒主は、勝ち目がないと考えて、小野小町の詠む予定の歌を盗んで、自分の万葉集の草紙に書き足してしまうんですよ。カッコ悪いですね。そして小野小町がその歌を詠んだところで、自分の盗作だー!なんて言ったりして。。。疑いを晴らすために小町が草紙を水で洗い流したところ、新しい墨で書かれた歌は流れ去って、潔白が証明されるというお話です。かっこいいですね。
絵の中では、右手に広げた扇を掲げ、草紙を左手に持ち、右膝を立てたポーズで描かれています。これ水を注いで草紙を洗い流す能の所作なんですね。
「冤罪を晴らす女性の叡智」が「気品ある美」で表現されている素晴らしい一作です。
女性の顔は能面をつけたような風貌に描写されていて、感情を抑えながらも決然とした表情を見せていますね。
そして次の作品はこちら。

この作品は、源義経の愛妾だった白拍子・静御前の姿です。
これもまたお話が好きでして、源平合戦で対立した義経と頼朝。同行していた静が頼朝に捕まるんですね。捕虜みたいなものです。頼朝が静に白拍子の舞を命じ、本作品はその舞を披露している場面なんですが、静は本当に見事な舞を披露するんですね。ですが、夫の義経を慕う歌を唄い、頼朝を激怒させてしまうんです。捕虜のような状態でありながら、勇気を示した静の心持ちに松園は共感したんですね。この画題で繰り返し描いているみたいです。
女性画家の苦悩と孤独、そして松年先生への変わらぬ愛がここにも見て取れるのではないでしょうか。
今回、最後に特集として美人画以外の絵を紹介する章がありました。
そこから好きな一作を紹介します。

19歳の頃の作品ですね。
松園には、松年先生以外にも、松年先生から許可を得て別の先生からも絵を学んでいるんですね。楳嶺先生です。当時松年先生と並ぶくらいの重鎮だったみたいです。 その2人の先生から学び描かれた絵がこちら。
動物画が好きな暁としては、今回の花鳥画はとても癒されました。鵲さんとても可愛らしいですね。
墨の濃淡を活かした柔らかない筆で柳の葉を描き、ゴツゴツした枯れ木は太い筆で大胆に表現されています。鵲が羽を広げて水浴びする様子は動的に捉えられ、色が加えた草花の繊細な描写も素晴らしいですね。
ここにきてもやはり画力の高さが窺い知れますね。美人画専門とは言っても、結局何描いても凄まじい画力ということです。
そして最後に、松園さんの棲霞軒雑記という本からのお言葉。
「芸術を以て人を済度する。
これくらいの自負を画家は持つべきである。
よい人間でなければよい芸術は生まれない。
これは絵でも文字でも、その他の芸術家全体に言える言葉である。
よい芸術を生んでいる芸術家に、悪い人は古来一人もいない。
みなそれぞれ人格の高い人ばかりである。」
めちゃくちゃ厳しいお言葉に消沈。。。
よい芸術を生むには人格を高めないといけないのか、、、と。
生まれ持っての才能や画力だけでは戦えないんですね。。
厳しいお言葉。胸に刻んでおきます。。。
今回も独自の解説を繰り広げましたが、いかがでしたでしょうか?
前期展示、後期展示ありますので、お好きな方、はたまたお時間のある方は、両方の展示に行かれてみてはいかがでしょう。
上村松園の魅力に迫る珠玉の展示会ですよ。
展覧会名:上村松園 生誕150周年記念
会期:2025/3/29(土)-2025/6/1(日) 10:00 – 17:00(入場は16:30まで)
場所:大阪中之島美術館
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